コロコロと興味の対象が移り行く音方による、日々の熱い物を綴ってみた日記。   ※アダルト・商業系サイトやここの記事とあまりにもかけ離れたTBやコメントは削除させて頂いています。悪しからずご了承下さい。


by otokata
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私はファーシュがわからない♪

 本日は待ちに待った、(あまり予定の入ってない)レディース・ディ!
ってことで、『ダ・ヴィンチ・コード』を観て来ました。ワーイ♪

 原作読んで、「実際の美術品とか建築物とかで見たいな。」と、思っていたので、その辺は満足しました。
 2時間半と聞いて少々不安だったのですが、テンポが良かったため、あまり長く感じることもありませんでした。っていうか、むしろ展開が早い早い。考えてる時間とか一切省略、ついでに不必要っぽいところも遠慮なくカット。ヴェルネさん(銀行の支配人さん)なんて、よく分からんキャラで終わってるし(笑)。ちょっと説明不足?って思うところも無きにしも非ずだったけど、これだけの時間であれだけの原作を再現しようと思ったら、仕方ない。

 役者さんも総じて良かったです。トム・ハンクスは中々感じが良かったし、オドレイ・トトゥ(よく知らないのですが)も、綺麗で知的な感じでした。ガンダルフ爺ちゃんも、可愛いのなんのって(作品間違ってるから、私)。



 一応文字は反転にしておきますね。

 まずは一言。
ファーシュ警部に萌えない・・・。

 これが最大の嬉しくない誤算でした。一言断っておきますが、ジャン・レノは決して悪くありません。悪いのは偏った期待を寄せていた私の方です_| ̄|○
 いつぞやここに転載した、ジャン・レノ氏のお言葉

 「「厳しさ」というものがこの役を表現していると思う。そして、この人物は自分が信じていた何かに裏切られたことにより、内面にヒビが入り崩壊していくんだ。その内面が一番興味深いところだった。」

 私は勝手に”信じていた何か”=”自分の能力・経験・使命感”
 と変換し、ロバート達が無実である事を知り、それらが揺るぎ始めて、原作の最後の「退職が近い」発言になるのかな~、と思っていたのですが・・・。でも、原作の警部はそんな感じだったと思うんですけど(弱弱しく意見)。
だから勝手に誰かさんと重ね合わせてたんですよね。とっても失礼な話です。
 しかし、オプス・ディでしたか、警部。私何か読み飛ばしてたかな(真剣に考え中)。カトリックだったのは確かだと思うけど、ついでにアリンガローサさんとよくお話もしてたけど、そういう関係じゃなかったような・・・。
 警官がここまで宗教一直線で暴走してしまうと、見ていて痛々しいというか・・・。神の、司教の期待を裏切るまいとして、しかし二人を取り逃がし続けて焦り始めるファーシュ警部の行動は、徐々に見苦しいものになっていってしまうのが、辛かったです。自分の名誉にかけて追い詰められた状態から打開しようとあがく自尊心の強い警部が好きだったので、アリンガみたいな誰かに振り回されてあがいてるのは苦しかったです(アリンガゆーな)。いえ、ロバート達には振り回されっぱなしですけど。
 ついでに言うと、アリンガローサの人、個人的になんか好きじゃないです。
シラスがあそこまで傾倒するような慈悲深くて深い司教に見えないから。だから余計にこの展開は・・・(泣)。

 自分の指示のせいで取り逃がしたのにコレ警部補を責めてみたり(あ、これは原作でもこんな感じか)、飛行場の人殴り倒して蹴りまくって告訴されたり(これが一番痛かった)。挙句アリンガなんかにあっさり騙されるんじゃないよ、警部(涙)。猛牛の名が泣くよ。

 「私は誰の期待を裏切った?神か?司教か?」
・・・私のです(オイ)。

 でもって、もう一言。

誰かシラスを救ってやってください(号泣)

 『ダ・ヴィンチ・コード』の痛いシーン主力担当のシラス、本当に見てる方が痛いです。

 盲信的で、神に与えられた使命を遂行するためなら殺人さえも厭わない。それこそ、警官はもちろん、年老いたソニエールやシスターさえ躊躇いなく殺してしまう恐ろしい奴。
 だけど、例えば祈る時に、例えば導師を名乗るレミーを見つめる時、そして、司教の前にいるときに、すがるような、打ち捨てられた仔犬のような目をするんですよね。
 神の名を借りようが殺人は殺人だし、彼のやっている事は忌むべき事だけど、彼自身アリンガローサに出会ってどん底の人生から救われ、あんな痛いベルトだの鞭打ちだのこなしながらも神に命捧げて必死に生きているのを見ると、宗教に盲信することの怖さを感じながらも、すっごくいじらしくなってしまいます。もうこれ以外の生き方なんて出来ないんだろうな、きっと。

 で、そんなシラスの最期が、本当にアレですか!?
最後の言葉が「私はゴーストだ」で、本当にいいんですか?
私が原作を読んで一番感動したのは、シラスが最期救われた気持ちで逝く事が出来たところなんですよ。師が助かる事を一心に祈りながら、神の慈悲を感じながら、霧のロンドンの公園の美しい風景の中で、体が軽くなるような心地の中で死んでいく。
 シラスは殺人者ですが、彼もまた一生懸命自分の生きる道を突き進んでいった一人なので、信仰に全てを捧げて自身の為ではなく、神や師の為に生きた人間なので、「良かった」って、思わず涙ぐんでしまったんですよ。

 それなのに、映画版はあれで終わりですか。それはないでしょう。
彼の哀しみや過去を少しでも描いたんだから、ワンシーンでいいから最期静かに完結させてあげようよ。師共々導師に裏切られて、誤って師を撃って自分も警官に撃たれて、ファーシュに「シラスは死んだ」って言われて終わりとか・・・。何だか不憫でした。想像で補完しましたけど、寂しい・・・。

 
 っていうのが、今日観てきて持った感想です。
映画の主な内容は、例えばマグダラのマリアに関してとかは、特に何も・・・(オイ)。
いや、だって原作読んでるし、どちらかというと鯨統一郎さんの『邪馬台国はどこですか?』の「奇蹟はどのようになされたのですか?」の方が私的には衝撃だったし・・・。(ユダの福音見つかった時は、真っ先にこの本を思い出しました。)『ドグマ』では聖母マリアの子どもから始まるキリストの血族が出てくるし(完全フィクションだけど)、何よりキリスト教徒じゃないし、「ふーん・・・」止まりでした。感動薄くてすみません^^;
 
 あ、でもラストシーンは何だかジーンときました。「聖杯探しの究極の目的は、貶められ、不当に歪められた女性の前にひざまずく事」でしたっけ。あのルーブルの地下に実際に彼女が眠っていたらと思うと、何だかとても不思議で敬虔な気持ちになります。この作品中では最も相応しいゴールですし、暗号の文章を見ていると、実際に彼女の墓としてここ以外にない気がします。

 ・・・しかし、こんなに長いのに、本当に阿呆な事しか書いてないな、私(爆)。

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by otokata | 2006-05-31 21:54 | 映画